
このお店のためだけに下田へ行く価値がある
小川家
「東京の鰻の名店が霞む、地方の小店」
アクセスの悪さと、わざわざ行くという選択
僕は伊豆熱川に小さな中古マンションを持っていて、家族で週末を過ごすことがある。熱川から下田まで、車でおよそ1時間弱かかる。気軽にふらっと、というような距離ではない。それでも熱川に行くとこのお店に行かずにはいられない。
下田の港のすぐそばに建つ一軒家。歴史を感じる外観。問題は、この店と出会ってから、東京でうなぎをほとんど食べなくなってしまったことだ。でもそれだけの価値が、このお店にはあると思う。
メニューの構造にみる割り切り
うな重のメニューは「竹」の1種類、4,350円のみ。選べるのはご飯の量だけだ。夜の営業はなく、昼のみ。そして、土用の丑の日には営業しないという一文もある。
この構造を見たとき、僕はまず「仕事として正しい」と思った。うなぎを焼くご主人と、提供を担う奥様の2人だけで店を回している。その体制でうなぎの質を一定に保とうとしたら、メニューを絞り、回転を管理し、繁忙期の無理を断つのは極めて合理的だ。土用の丑の日に休むというのは、集客の機会を捨てているようにも見えるが、あの日に押し込めば品質が落ちることを、ご主人が誰よりもよく知っているのだろう。
割り切りと呼ぶより、優先順位の明確化と呼ぶほうが正確かもしれない。この店は「何をしないか」を決めることで、「何をするか」を守っている。その設計が、こうした決め事の一つ一つから伝わってくる。
蒸しと焼き、その精度について
野田岩の流れを継ぐ店とのことだが、僕個人の感覚では、むしろ野田岩より印象に残る品質だと思っている。

箸でうなぎに触れると、思った以上に抵抗がない。そのまま口に入れると、噛むより先にほぐれていく。この状態をつくるのは、蒸しの時間と温度のコントロールが相当に精緻でなければ難しい。蒸し過ぎればうなぎは水っぽくなり、身の旨みが抜ける。蒸し不足なら固さが残る。あの質感は、その両方を避けた結果として出てくるものだ。
焼きについても同様だ。表面にはほどよく焼き色がある。皮目は薄く締まっていて、身との境界がはっきりしている。蒸しで柔らかくした身を、焼きでどこまで締め直すか。その判断が、あの一切れの中に入っているのだろう。
タレは甘すぎず、うなぎの脂と干渉しない。ご飯との絡み方も見事で、最初のひと口と最後のひと口で印象が変わらない。重箱の底まで同じ状態が保たれている、ということでもある。
食べ終わるのが惜しいと感じるうなぎ、と書こうとして、少し止まった。それは単に量の話ではなく、これ以上この味を楽しめなくなってしまうことへの惜しさだ。食べている間ずっと、次のひと口に意識が向いている。
2人の店にしか出せないもの
ご主人が焼き、奥様が運ぶ。それだけの構造だが、その分、ご主人が焼いたものが直接客のところへ届く。中間に何も挟まらない。うなぎの提供には時間がかかる(ただし事前に予約をしておくと待ち時間無しで食べられる)が、その時間が適切に感じられるのは、待っている間の静けさが心地よいからかもしれない。港の近くの一軒家で、昼だけ、2人で、1種類のうな重だけを出す。そう俯瞰して見てみると、ある種の美しさを感じずにはいられない。
規模を大きくすることが正解ではない、ということを改めて思う。僕は一人の飲食店オーナーとして、店の設計についていつも考えるが、「何をしないか」という問いの重さを、ここへ来るたびに改めて感じる。 絞り込むことは、考えることはたやすいが、実際にやってのけるには大変な勇気が必要なことなのだ。
このお店のためだけに下田へ行く価値がある。それは大げさではなく、実際にそうしているから書いている。
店舗情報
小川家
静岡県下田市〒415-0022 静岡県下田市二丁目8−14
