秋田県横手市の十文字ラーメンは今日食べて又明日も食べたくなる優しさ
元祖十文字中華そば マルタマ
「潔さだけで勝負する、琥珀色の完璧」
有澤まりこ
株式会社サンラサー
東新宿サンラサー / オーナーシェフ
十文字中華そばの「引き算」が、すべての料理人に問いを投げかける
秋田県横手市から車を走らせ、花巻を抜けて北上すると、十文字というエリアに着く。中華そばの町として知られるこの地に、「元祖十文字中華そば マルタマ」はある。
カレーを作る立場から中華そばを見に来たのは、スープと具材の構成という点で、学ぶべきことがあると踏んでいたからだ。結論から言えば、その読みは正しかった。
席に着くまでのこと
店は地元の人間で常に混み合っている。テーブルと座敷が並ぶ、飾り気のない空間だ。回転もそれなりに速いが、人気ゆえに材料が尽きると早仕舞いになることもある。訪問するなら昼の早い時間を狙ったほうがいい。観光客より地元客の比率が高い。それ自体が、この店の性格をよく表している。
スープの透明度という設計思想
運ばれてきた丼を見て、まず目に入るのはスープの色だ。濁りがない。醤油ベースでありながら、光を通すような透明度がある。
口に含むと、出汁の輪郭がはっきりしている。鶏ガラと煮干しを合わせたと思われる構成で、どちらかが突出して主張することなく、均衡を保っている。塩分は控えめで、飲み続けても疲れない。二日酔いの翌朝に身体が求める水分のように、するすると入ってくる。これは技術の話であって、偶然の産物ではない。
雑味を出さないためには、素材の選定と火加減の管理が要る。濁らせないためには、丁寧なアク取りと温度帯のコントロールが要る。このスープの透明度は、作業の積み重ねの結果だ。
麺と具材の「引き算」
麺はかんすいを抑えた極細のちぢれ麺だ。かんすいの量が少ないため、小麦の風味が前面に出る。細さゆえにスープとの接触面積が大きく、一口ごとにスープと麺が一体になって届く。主役はあくまでスープであり、麺はその媒体として機能している。
具材はのり、少しのねぎ、チャーシュー、かまぼこ、お麩。以上だ。
これだけ書くと物足りなく聞こえるかもしれないが、食べればわかる。何も足す必要がない。チャーシューは主張しすぎず、かまぼこの弾力がアクセントになり、お麩がスープを吸って別の食感をつくる。それぞれが役割を持っており、どれを抜いてもバランスが変わる。
飲食店の経営側から見ると、具材を絞ることはコストの話だけではない。絞ることによって、スープの完成度を問われることになる。逃げ場がなくなる。この店はその問いに正面から向き合っている。
滋味という言葉の正体
「滋味深い」という言葉は、食の文脈でよく使われる割に、内実が曖昧なことが多い。この店のスープに関して言えば、具体的に説明できる。
飲んだ直後より、少し経ったあとに旨みが広がる。後味が長く、しかし重くない。これはグルタミン酸とイノシン酸の重なりが適切なバランスにあるときに起きる現象で、どちらかが過剰だと後味が単調になるか、くどくなる。このスープはその配分を抑制的にコントロールしている。
カレーに置き換えて考えると、スパイスの配合に近い話だ。何かを際立たせるより、全体の調和を優先したときに生まれる奥行きがある。主張を抑えることで、結果として記憶に残る味になる。
この店が問いかけること
十文字中華そばというジャンル自体が、この店によって支えられている側面がある。派手さがなく、流行を追わず、地元の日常食として長年続いている。それ自体が、ひとつの回答だ。
素材を減らすこと、火入れを丁寧にすること、余計な手を加えないこと。口で言うのは簡単だが、それを何十年も維持し続けることは難しい。この店のスープは、その継続の証拠として丼の中にある。
ジャンルを問わず、料理を作る立場にある人間であれば、一度この丼と向き合う価値がある。何かを足すことより、何かを引くことのほうが難しいという事実を、スープ一杯が静かに示している。 この店がある町に住みたいと、何度思っただろうか。そんな店に出会えた奇跡に感謝したい。
店舗情報
元祖十文字中華そば マルタマ
秋田県横手市〒019-0506 秋田県横手市十文字町佐賀会上沖田37−8
